2025年10月1日水曜日

火事

 


ももや丸に燃料補給をしておこうと三瓶に行ったら中心部で大きな煙が見えた。近づいてみると消火の真っ最中。

そういえば三十数年前、わが生家も焼けた。その時、家族4人でヨットクルージングをしていた。三瓶のヨット仲間と2艇で由良半島先端にあるペンションを予約して、日振島で一度休憩をして夕方ペンションに到着した。そこに生家が火事と電話があった。

一日かけて来ているので帰るのはたいへんと思ったが、よく考えると由良半島なので陸路が使える。タクシーを呼んで3時間かけて生家に戻ったらまだ燃えていた。田舎の一軒家なので後の処理を考えると最後まで燃やしたほうがいいという判断で消防団のみなさんとビールを呑みながら燃えるのを見ていた。のんびりした時代だった。

翌朝、現場検証があった。正確な火元が分かるのには驚いた。残った柱などの燃え方から分かるそうだ。父は左利きだったが、父が座っていた左側に灰皿があって、これが火元だった。

その後、叔父が重機を借りてきて後始末は30分で終わった。

卒業証書もアルバムもなくなったが、2社の火災保険に入っていたので保険金がたっぷり出て、父はパチンコ三昧。当時は按分なんて用語もなかった。その後、わが家でペンションの話しがでると「焼けペン」と言うようになった。

そんな事を思い出しながら火事を見てきた。


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