もう一年以上も上架していないので、船底にカキが付いてスピードが出なくなった。おまけに電動トイレの吐出口にもカキが付いたようで、うまく排水が流れない。昨日、上架を依頼したら、もう今日には上架されていた。
トイレが流れないのを解消するためにスッポンを買ってマリーナに行ったが、一歩遅かった。吐出口のカキを取ったら流れたそうだ。
八幡浜に行こうとしたら、交差点からババアの運転する軽四が飛び出してきやがった。
もう一年以上も上架していないので、船底にカキが付いてスピードが出なくなった。おまけに電動トイレの吐出口にもカキが付いたようで、うまく排水が流れない。昨日、上架を依頼したら、もう今日には上架されていた。
トイレが流れないのを解消するためにスッポンを買ってマリーナに行ったが、一歩遅かった。吐出口のカキを取ったら流れたそうだ。
八幡浜に行こうとしたら、交差点からババアの運転する軽四が飛び出してきやがった。
またニッパーを買ってきた。(左端)
刃先が命なのにすぐに切れなくなる。安物を買うからだ、という声が聞こえてきたが、高額なものを買っても同じ。少し硬いものを切ると刃先が欠けてしまう。それなら安物を何度も買い替えたほうがいいという結論に達した。
昼飯を食って釣りに行ってみた。いい当たりがあって喜んだが、途中から引かなくなってエソ確定。針を外すのに難儀をした。基本的に舷側にぶら下げて外すが、今日はボート上に上げないと外れなかった。大暴れをしてくれた。デッキウォッシャーで洗い流したが、ウロコが凄かった。潮止まり前に撤収。
わが社のネットショップの売上累計がついに一億円を越した。
このサイトは「おちゃのこネット」というECサイトで、売上に対する課金がないのでずいぶんと以前から使っていたが、やっと達成できた。うれしいな。一昨日、26万円ちょっとの売上があったので、もしかしたらと累計を見たらこれだった。何年もかかっての結果だからあまり自慢することでもないなあ。
ニコン専用のPC接続ケーブルが届いた。さっそく接続してみたが、いつまでも「セットアップ中」の表示が出る。面倒なので無視してPC開いてみたらそのままメモリーの内容が見えた。あの表示は何だったんだろう。
タイが釣れないので、今日の昼飯は、みま道の駅のレストランでタイ飯にした。これなら鯛ラバをロストしないし、船外機の燃料も不要だ。
このタイ飯の元祖がお隣の津島町に伝わる「六宝」(ろっぽう)だそうだ。津島町のレストランで時々メニューにある。この場合は魚はタイに限らない。手元にある魚でいいらしい。
孫の誕生日だった。鈴ちゃんの写真添付で「おめでとう」と送ったら好評だった。これからはこの手で行こう。
バッテリーは完全放電していた。内部メモリーも初期化されていて、日時設定からやり直した。
そのコンデジで今日届いた今年の狩猟許可関係書類を写してみた。使い方をすっかり忘れていた。シャッターボタンは深く押さないと撮影できない。スマホとは随分と感覚が違う。
コンデジとPCを接続するケーブルが汎用品ではない。ニコン専用になってるようだ。ところが充電器はマイクロBになっている。よー分からん設計だな。
作業場の蛍光灯が切れた。交換に行こうとしたが車内にいい置き場所がない。クッションの真ん中に切り込みがある。これがジャストサイズ。
LED製に交換した。グローランプも専用に交換して点灯成功。順次LED製に交換しているが、残る6本はまだ蛍光灯仕様。早めに全部交換するかなあ。
悔しいので今日も釣りに行こうと思ったが、朝イチにFAXで大量注文が入った。納期は月曜日でもいいとのことだったが、ギンギンに頑張って出荷完了した。明日、明後日は大谷君を見るのでお仕事できない。
朝、お仕事をしていたら某M氏から「釣りに行ってきます」とLINEがあった。しばらくしたら、一投目で釣れたとレポートがあった。巨大なタイ。見事やなあ。43cmあったそうな。
仕事している場合ではない。放り出してマリーナに急いだ。早くしないと全部釣られてしまう。マリーナに着くと、ちょうどM氏が帰港したところだった。夫婦二人なので、このサイズなら1匹で十分とのこと。鯛シャブと鯛メシにするそうだ。
私も釣り場に急いだ。でも釣れない。同じような場所で鯛ラバを千回もズリズリと上下させるが釣れない。
やむなく帰ることにした。地元にたいへん頼りになるスマホ修理業者がいる。ところが今日は地元の祭りでお店はお休みだった。やむなくauショップに行った。若い女性社員がスマホを手にとってしばらく触っていたが、突然に復活した。強制リセットをしたという。やり方を教えてもらった。
これで大丈夫です、とおっしゃるがブラックアウトしたのには原因があって、それを突き止めないと再発する。女性社員さんにそんなことを言ってもしかたがないので日を改めて修理業者のところに行こうと思う。
新製品開発の最終段階に来ている。
もう少し飛距離を出したいので、昨日は自作アンテナを作って取り付けてみた。周波数から1波長を計算して1/2波長のアンテナを自作した。(プロ無線機屋なので、この程度は朝飯前)全波長アンテナも作るが長すぎて却下。いい成績を出したが、残念、技適では1/4波長しか認められていない。あえなく挫折。
困ったときの外部アンテナで、マグネットでシエラ屋根に張り付けてみた。これがいい感じ。車体がボディアースとしてラジアル効果が出ているようだ。
あと数日で公式発表できると思う。開発期間が長かったので体力と資力を失った。取り戻すことはできるのだろうか。
面倒なお仕事は、当社製の熱センサーで箱ワナゲートを落とす装置の不具合修理。 PICプログラムの不具合を疑ったが問題なし。センサーも感知している。再組立てをしようと思ったが通常品との違いが、センサー信号を二重に送るラインがあることに気が付いた。基板経由で信号を通常は送るが、ハンダ失敗で別ラインを追加した。これが原因だった。信号遅延があるのだろう。別ラインをカットして修理完了。電気のことは分からない・・・
午前10時過ぎが今日の潮止まり。11時から釣りスタート。北風でいい感じで流される。ひと流しごとに1回か2回、大当たりがある。でも乗らない。珍しく2時間も頑張った。結局やっと釣れたのは大型エソ! お前かよ。船上に上げず舷側でリリース。
エソのシーズンは終わったと思っていた。これからのシーズンは繁殖に励んでもらって、子孫を増やして欲しい。稚魚は群れているので網で捕獲できる。これを干してできるのが、南予地方独自の出汁の元である「ボラメ」となる。
某大学女性教授のアシスタントをやって知った地元味の秘密。彼女が研究結果を公表するまで「ボラメ」のことは全く分かっていなかった。
バアさん、ジイさんに続いて今日は鈴ちゃんが病院に行く日。
長女が、胸にシコリがあると大騒ぎしているのでお仕事を片付けた午後に地元動物病院に連れて行った。ここの院長は長女の同級生。その奥さんも獣医さんで、父上も獣医さん。この動物病院はスタッフが充実している。
いまは亡きQ太郎君などは、噛み止め系だったので、よく怪我をした。この病院で、それこそボロ雑巾みたいに何度も縫ってもらった。幸い鈴ちゃんは自分より弱い獲物には噛み止めに行くが、負けそうだと見なかったことにして逃げ帰る。猟犬はこれがいい。
診察台には私が抱いて乗せた。体重計にもなっていて13Kg。本物の屋久島犬はこのように小型軽量。診察開始から1分後、「脂肪種ですね」と診断完了。なーんのことはないニキビの大型だった。よかった、よかった。これでわが家の3名は無事、健康であることが分かった。鈴ちゃんは今後、わが社新製品のモデルとして働いてもらう必要がある。
治療費1320円は長女に請求する。忙しい今週だったなあ。
それにしてもこの病院、受付前の廊下に発熱外来用のブースを衝立で並べて治療している。点滴治療の方が多い。そのサイドを通って治療に行く。怖いよう。
明日は私が地元病院でエコー検査をする。明後日は鈴ちゃんを獣医さんちに連れて行く。忙しいなあ。長女によると鈴ちゃんの胸部にシコリがあるそうだが、私には触らせない。お乳を触るので恥ずかしいのかな。それとも私の触り方がイヤラシイのだろうか。
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土曜日は高校の同窓会だった。70人程度が出席。ほとんどが名札を見ても分からない。年の功で話しながら、いまの住まいやお仕事を探って行く。凄いのはタイ在住で、この同窓会のためにタイから帰国した同級生がいた。確か彼は航空関係の仕事だったな。
いちばん羽振りがいいのは米作り専業農家で、余裕ぶっこいていた。女性たちも彼の回りに群れている。オコメとオ〇コは語感が似ている。
昨日は地区の清掃活動。その後に観月会と称する慰労会を昼間からやった。刺身盛り合わせには板ウニが乗っかってる豪華さ。しかもお隣の好青年はウニが苦手と言うイイやつ。彼の分まで味わった。
連休最後の今日は、明日出荷の荷物作りで一日作業した。明日はヨメさんの病院付き添いでお仕事ができない。三日ほど検査入院するので家族説明を受けに行く。長女を行かそうと思ったが、担当が美貌の女医さんらしい。私が行くことにした。
三瓶、道の駅前の桟橋に着岸した。本来は前後のクリートからロープを出す必要があるが、ももや丸には中央にウェイクボードを引くための頑丈なパイプが固定されているので、これを使って係留した。お気楽な1本係留。
釣りの最中、急に催した。ウィルス性の喉頭炎治療に強力なお薬を服用したので、このところずっと下痢。ももや丸には電動トイレが備わっているが、釣り場を汚す気になれない。釣ったら絶体に食べてるもんね。
もう一回、釣り場まで戻る気になれず、このまま撤収。何しに行ったのやら。
去年が裏年だったので、そのお詫びなのか、もう枝が折れそうなほど実っている。柿大好き犬、鈴ちゃんは大喜び。
momoちゃんが生前時は、ふたりが柿の木の下で落ちてくるのをじっと待っていた。競争なので待っている必要があった。いまは鈴ちゃん一人なので競争相手なし。落ちているのを拾って食べればいいので楽勝。
とても食べ切れないので今年は干し柿でもつくるかなあ。でも我が家の柿は甘柿。甘柿の干し柿は作れるのだろうか。
今朝は銃所持許可申請の最終段階。自宅訪問。ガンロッカーや装弾ロッカーの確認やら配偶者の意見聴取などを行った。無事終了。この段階まで来て、ヨメさんの反対で許可にならなかった例を2件知っている。3件目にならなくてよかった。
午後は亀が池温泉でまったり。頂上線の分岐点で撮影。いい景色。
でも実際は強風波浪注意報発令中。釣りには行けない。
明後日は宇和島東高校の同窓会。別に誰に会うわけでもないが散髪に行ってきた。先週の今頃は寝込んでいて、それどころじゃなかったので回復を喜んでいる。みんな元気かなあ。
この齢になると同窓会はいつも物故者への「黙とう」から始まる。対象者にならなくてよかったよ。
午後から新製品のフィールドテストに鈴ちゃんと山に行った。ご機嫌に走り回るが獲物がいない。川まで来ると例によって水遊び。これも計算済み。
その後、うまく林道上で獲物を発見した。小型イノシシのようだ。急斜面なので林道に落ちてくると思って装填して待機。どうも大型イノシシのようで斜面を上に逃げた。500m先まで追いかけたところでGPS電波ロスト。次に補足できたのは167mだった。
林道沿いのワナにシカがかかっていた。私が寝込んでいる時に獲れたようですでに死んでいた。大型のオス。
写真撮影が難しい。自分の顔と、確認用紙、獲物が入っている必要がある。スマホを自撮り棒で伸ばして写すが綺麗に撮れない。何度も失敗してもう嫌になった。午後1時に家を出たのに帰ったのは午後5時。疲れた。
午前9時開業の耳鼻科に行ったら、駐車場が満杯。待合室に入ると若い男性がやたら多い。皆さんコロナ検査をお受けになる。コロナ検査の患者は車内待機。すぐに受診できた。喉奥をしっかりと見ていただき、「完治しています。少しポリープが残っていますが、すぐになくなります」と安心のお言葉をいただいた。大病院での検査も不要とのこと。よかったぁ。
残っていた焦電センサーを使った製品の回路を組み上げた。最初、PICにファームウェアを書き込む。このPICを含めたパーツ類を自社オリジナル基板上にハンダしていく。EMS工場に依頼するほどでもないので自分でハンダ作業をするが、我が社製品では最難関組み立てとなる。組み上げると動作テスト。うまく動く。よかった。
トリガー部と接続して、出荷前の最終動作テストを午後行う。。動かない。小一時間考える。午前中、回路は完璧に動くことは確認した。室内がやたら暑いことに気が付いた。焦電センサーは気温に敏感だ。感度を上げたら動き出した。いつもならこんなことはすぐに気がつくはずなのに、やっぱりバカは治っていないようだ。
振込案件もあった。ゆうちょ銀行間なので、ワンタイムパスワード生成カードを取り出した。相手先口座番号と、自分で生成したワンタイムパスワードをネット側に書き込むだけなのだが、なーんと5回もミスった。これ以上間違えると口座凍結の恐れがあるので、別銀行から振り込んだ。振込手数料がかかるのが悔しい。
長く風呂にも入ってなかったので、温泉に行ってのんびりした。出る時、ロッカーキーと思い込んでシエラのキーを渡して担当者に大笑いされた。
ここ数日でかなりバカになったようだ。残ったお仕事もあるが、この調子でやると大きなミスをしそうで、完全復活まで手を付けないことにした。
症状を聞いて真っ先にコロナを疑われた。検査の結果、陰性。鼻からカメラを喉奥に入れて診察。カメラを見ている医師が「うゎあ」と声を出す。火傷をしたような状態になっているらしい。「ガンと言われたことはありませんか」医師が訊いてくる。それを知りたいのは患者だがね。
結局、ウィルス性の咽頭炎ということになった。ウィルスを取り除くお薬を週末に服用して、月曜日に再診する。その結果次第で大きな病院を紹介するそうだ。怖いなあ。
日曜日に計画していた新製品の最終フィールドテストは延期をした。口がきけないのでは打ち合わせにならない。
月曜日までにもっと元気にならねば。
ももや丸に燃料補給をしておこうと三瓶に行ったら中心部で大きな煙が見えた。近づいてみると消火の真っ最中。
そういえば三十数年前、わが生家も焼けた。その時、家族4人でヨットクルージングをしていた。三瓶のヨット仲間と2艇で由良半島先端にあるペンションを予約して、日振島で一度休憩をして夕方ペンションに到着した。そこに生家が火事と電話があった。
一日かけて来ているので帰るのはたいへんと思ったが、よく考えると由良半島なので陸路が使える。タクシーを呼んで3時間かけて生家に戻ったらまだ燃えていた。田舎の一軒家なので後の処理を考えると最後まで燃やしたほうがいいという判断で消防団のみなさんとビールを呑みながら燃えるのを見ていた。のんびりした時代だった。
翌朝、現場検証があった。正確な火元が分かるのには驚いた。残った柱などの燃え方から分かるそうだ。父は左利きだったが、父が座っていた左側に灰皿があって、これが火元だった。
その後、叔父が重機を借りてきて後始末は30分で終わった。
卒業証書もアルバムもなくなったが、2社の火災保険に入っていたので保険金がたっぷり出て、父はパチンコ三昧。当時は按分なんて用語もなかった。その後、わが家でペンションの話しがでると「焼けペン」と言うようになった。
そんな事を思い出しながら火事を見てきた。