今日はサバが大漁だそうだ。トローリングで入れ食い。取り込みが忙し過ぎて仕掛けを再投入する時間がないという。
その割に、これを刺し身にして一杯やっている写真が送られてくる。もう!
三瓶YCの不良オヤジたちが3名で出漁したそうだ。
場所は日振島すぐ横の横島付近。よこしまな心を持った連中が行きそうな場所だ。
塩サバに加工して持参されたいと希望したのだが、どーなるだろう。
その頃、私は凝りもせずまた金山出石寺を目指して走っていた。50年待つのはシンドイ。連休なのでやたらヒマなのだ。
やっぱり世間には「秘仏」だの「御開帳」に心踊らせる人が多いんだなあ。駐車場はいっぱい。
今日もこの長い階段を登ることになってしまった。これ、結構きつい。ヨットに3年も置きっぱなしだったスニーカーを持参した。
上りはまだいいが、下るときに足にくる。
50年ぶり御開帳の秘仏を拝観した。
もちろん撮影は禁止。ガードマンが厳重に監督している。
本堂の中は暗い。
拝観場所の奥の床板が開けられている。その下が石室になっていて、ご本尊はそこに安置されているそうだ。
結論!よく見えない。
ご本尊はどうも石の固まりみたいだ。黒っぽい固まりがかろうじて見えるが形状はまったく分からない。
秘仏なんだから、丸見えではありがたさがない。こんなものかもしれない。
昨今のAVみると、ぜんぶ剃ったりして、ライトの前で自らおっぴろげのねえちゃんが多い。色気もクソもない。秘所なんだから隠すのがいいんだぜ。
50年間も隠すのは問題だけど、ほの暗い照明で楚々とした陰毛(いい言葉だなあ)越しに微かに見えるのがいい。
秘仏御開帳で、こんな感想をするのは私だけだろうか。
どうやらここは我が町の先人猟師が作ったようだ。先輩作だ。
略縁起
開創は養老二年(718年)六月十七日である。宇和郷田中庄に住する猟師作右衛門が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、そのあとを追うて山に登り、まさに鹿を射殺そうとしたところ、突然全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿はかき消え、鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、千手観音菩薩・地蔵菩薩の像が地中から湧き出して金色の光を放った。
この奇瑞を目撃してから、作右衛門は殺生を業とする生活をやめ仏道に入り、自ら道教を名乗りこの仏像を本尊とし、出石寺と命名した。
境内内にある説明文などでは「鹿を射殺しようとした時」などと書かれているものがあって、作右衛門が銃を使っているかのように思われるが、もちろんこれは「射殺す」(いころす)であって弓での猟のこと。
鉄砲伝来はこの1,000年近くも後のことだ。
718年のちょっと前に関西エリアで巨大地震が起こっているので、あながち言い伝えがウソとも思えない。
境内に食堂があったのでメニューのなかでいちばん高い「金粉入りウドン」を食った。
金粉入りのウンチをしよう。
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